4代続いている うち(綾児玉果樹園)について 少し書きます。

ばーちゃんから聞いている話ですので、もしかしたら正確でないかもしれませんが、残っている記録とか日誌 口伝などを書いてみます。

初代 児玉昭一

この綾の地に初めて日向夏を育てたのが 初代 農園主 児玉昭一 です。

今から約70年ほど前の昭和初期にその前から農業をやっていた児玉昭一は広く農業をやっていたようです。
このときは今のように有名でもなく みかんの新品種で見つかった日向夏を数本畑に植えていたようでした。

まだその頃には綾児玉果樹園なんて呼び名はなく、一個人の農家でした。

この頃、清武で発見された日向夏はこのころでは新しい品種のみかんを教えてもらって、苗を植えた程度のようでした。

調べてみるとこの綾町でも数件の農家が数本栽培する程度で、日向夏の本格的な栽培は行われていなかったようです。
当時は今ほど日向夏は知られていなかったし、酸味と甘みの程よいバランスのとれた実の味が一般的には知られていなかったのもその本格的な栽培に至らなかった理由でしょう。

昭一はこの綾町 割付地区の山の傾斜面での栽培方法や地区の大半を覆う豊かな黒土が日向夏に適ているのをどうやら気がついていたらしいようでその頃から株分けを行い、本数を増やしていたようです。

2代目 児玉兼良

初代が栽培を始めて20年後 2代目の児玉兼良から本格的な栽培にはいるが、この時代も栽培方法は試行錯誤しており、日向夏の個体数を増やし、生産量を上げることが難しいかったようで、苦心した様子が伝えられています。
接木の種類やその時期、受粉の方法や収穫時期や摘果時期、肥料を撒くタイミングなど苦労したようだ。
また、その頃は露地栽培が中心で、形や表皮の具合もばらつきがあり安定した供給ができるように苦労したようだ。

3代目 児玉平

私(児玉隆一の父)3代目の児玉平(たいら)がハウス栽培を始めました。
ハウスをおこなった理由ですが、露地に比べると早く市場に出荷でき生産が安定 品質のよい日向夏が栽培できることではじめたようだ。

このときには日向夏園は約2.5ヘクタールに拡大し、時代も日向夏に評価をしはじめたときだ。

この頃から 八朔 温州みかん スイートスプリング 金柑など果樹を中心に、多品目少量栽培を始めるようになった。

昭和40年代の温州みかん生産ブームを尻目に、日向夏の個体数を積極的に増やし、割付地区の山の傾斜面を利用して、品質のよい日向夏を安定収穫させることに成功。

今の児玉果樹園の基礎を作る

今日の安全な作物を作る 有機農業の礎を作る。

この当時から自然生態系農業に近い形での栽培方法を実践していたようだ。
早くから使用農薬を減らし、同時に日向夏の病気にならない方法を試行錯誤していたようだ。

現在の児玉果樹園の安全で安心な日向夏はここから始まったともいえる。

平(たいら)は 当時 日向夏の生産農家 数軒をまとめ 農業部会(日向夏研究会)の先駆けを作り、綾町の日向夏 ブランド確立に乗り出す。

早い時期から首都圏にこの綾町の優秀な農産物を新鮮に届ける努力をした一人でもある。

箱にビニール袋を入れて日向夏を傷から守り、遠方に出しても新鮮さをたもつ 現在の方法を考案する。

最初は箱に新聞紙を入れたりと首都圏に送っても鮮度が保てる現在の方法を考案する。

綾の日向夏の普及に尽力した。

平成15年に他界し現在は農園主を息子の児玉隆一が努める。

4代目 児玉隆一

屋号を綾児玉果樹園としたのも平成15年冬からである。
この時期にパソコンを習い始め、インターネットを利用するようになる。
なじみの電器店でのネットショップのオープンの勧めが児玉果樹園の始まりである。

最初は半信半疑であったが、全国から寄せられる注文や励ましのメールで販売に手ごたえを感じた。

今 私は父の意思を次いで新しい日向夏作りをしている。
このインターネットでの販売を通じて、日向夏が全国に愛されるものだと思った。
栽培にがんばれる ひとつの励みを持った。

その第一弾が 小核 ハウス日向夏である。
受粉に工夫を凝らし、安全で安心な 種の少ない日向夏をつくり 平成17年春に出荷する。

その次がハウスでしかできないといわれる 小核日向夏みかんを新しい栽培方法でつくった 「小核日向夏」の出荷である。

初めての試みだったが、育成状況もよく今年自信を持って出せるものに仕上がっている。
これももうすぐ 平成17年 小核ハウス日向夏が終わっての出荷である。

楽しみにしてほしい。